ただ振り向いて欲しかった・・・ Zero Corsswind作
「僕、どこまで行くの?」
 とある列車の車内、車掌が少し様子の変な少年に声をかけた。
「えっと荒崎まで、お父さんとお母さんは入院しているお姉ちゃんの世話しないといけないから一人でおばあちゃんの家にいってだって。でも初めてだからちょっと不安で……」
 少年はこう話しているがこれは嘘。家で誰も相手にされないからこっそり抜け出してきたのだ。さっき述べた駅は適当に知っている家から少し離れた駅を答えただけで、少年の祖母はいない。
 この少年の名は霧沢 始、齢8歳の少年で、生まれつき脳の働きがよくなく、病院の入退院を繰り返す二つ年上の姉がいる。そのせいで始の親は姉につきっきりで始まで手が回らない。
「一人でえらいね」
 車掌はそう告げるとそのまま隣の車両へといってしまった。
(大人って単純なんだ……)
 始はうつむき、そのまま眠ってしまった。

「あれ?」
 気がつくと見慣れない風景が見えた。列車は止まっているので恐らく駅――終点なのだろうか……
「こんな駅あったっけ?」
 先ほどまで住宅地にいたはずなのに、今いるこの場所はれんがや木で造られた小家が並ぶ街で、街道も石畳が敷き詰められている。少なくとも彼の住んでいる地域にはこんな街はなかった。
 列車から降りた少年は街を散策、街は静かであり、なぜか外に出ている人はいなかった。民家からその家の家族の声と食べ物のおいしい香りがしていた。
「……おなかすいた」
 早朝にこっそり抜け出してきたこの少年は朝食も食べていない。とはいったモノの近くに見せらしきモノもない。
 街から少し外れるとそこには草原が広がり、街からほんの少し歩いたところに果実がついた樹が数本あった。始はその樹の下まで歩み寄り、上を見上げた。
(結構高いな……)
 樹はどれも始の身長の3倍くらいあり、始の手が届く範囲には林檎のような実は実っていない。とはいっても空腹だからその実をどうにかして食べたいと思っていた。
「……あっ」
 幸運にも樹の下に一つだけ実が落ちていた。自然に落ちたと言うより誰かが手で採って、そこから落ちたような感じである。
(……落ちてるんだから、食べても文句ないよね)
 始はその実をかじった。
(甘〜い)
 林檎とは違う味なのだが、ほのかに甘く始の好きな味だった。空腹だったと言うこともあり始はすぐにその実を食べてしまった。
「そこで何してるの!」
 街の方から女性の声が聞こえた。
(……!)
 始は驚いて、口に残っていた実を急いで飲み込み、残った芯の部分は地面に落とした。
「人間の子供?」
 言葉を話しているのに“人間”と尋ねる女性、少し始は妙に思う。だがその意味は振り返った瞬間わかった。
「!?」
 少年が振り向くとそこに狼獣人の女性が立っていた。
「うわ〜!」
 急に泣き叫び逃げる始。見たこと無い生き物が自分の目の前にいる、しかも相手は狼に似ていたため怖かったのだ。始の思考回路上“喰われる”という四文字しか頭に浮かばなかった。
「逃げるな、逃げるな」
 だが狼獣人の方が足が速く、樹から数十メートルの地点で捕まってしまう。
「……食べてもおいしくないよ」
 始の声は震えていた。怯えていることを察したのか、狼獣人は一度ため息を吐き
「別に食べる気無いから」
 と言った。
「……本当に?」
 始は涙で潤んだ眼で獣人を眺める。
「この状況で嘘ついてもしかたないだろ?」
 始を近くの樹下に座らせ、彼女自身も少年の前に腰を下ろす。そして怯えさせないように精一杯の優しい顔を作り、始の目を見つめた。
「どうしてここに来たの?」
「……」
 始にとってあまり答えたくない質問、眼を逸らすため地面を見つめた。
「悪いこと言わないから、帰った方がいいよ……ここは君のような子供が来る所じゃない」
 優しい口調でそう少年に言い聞かせた。しかし始は首を横に振る。この少年がただの迷子じゃないことに気がつくと狼獣人はさっきと同じ口調で
「どうして?」
 と尋ねる。
「家じゃ独りぼっちなんだもん、お父さんもお母さんもみんなお姉ちゃんでいっぱいいっぱいで構ってくれない。どんなに学校でいい成績とっても、作文のコンクールで賞を取っても褒めてもらった事なんて一度もなかった」
 始は膝を抱え、下を向いた。
「……つまり家出してきたって事?」
 始は首を少し縦に動かす。
「他に何も思いつかなかったんだ。家に帰っても誰もいない、まだ9歳にもなってないのに夕食を自分で作ってる。ちょっとでも失敗すると母さんが怒るんだ、それが嫌で嫌で……」
 始の目からさっきとは別の涙が流れ出した。
「何で僕は生まれてきたんだろ、こんな悲しい思いするなら生まれてきたくなかった」
 一人で家にいる。誰かいたとしても自分を見てはくれない。始にとってすごい辛いことだった。
「そんなこと言わないでよ、確かに君はかわいそうだよ。だけどその年で自分の存在否定しちゃダメ。まだ話す機会いっぱいあるんだからちゃんと話してごらん、きっとわかってくれるから……」
 声が少し揺れていた、彼女も泣いていたのだ。顔を上げ、彼女が泣いているときがついたとき、始は涙を拭いた。
「……そういえば、一度も淋しいって行ったことなかった」
 むりやり笑顔を作り、彼女に見せる。
「今帰れば、まだ大事にならなくてすむよね?」
 そう問うと狼獣人の彼女も涙を拭き
「えぇ、きっと心配してると思うよ」
 と笑顔で答えた。

 始の悩みが解消されたと思われた……
「……うっ」
 始はまたうずくまってしまった。始の様子に気づいた狼獣人は始に近づき、肩に触れた。
「どうしたの!? すごい熱だよ」
 今の始の体温は人間のものじゃなかった。
「痛い、痛い、痛い………」
 始はそう叫び始める。しかしあまりの痛さに耐えられなく、すぐに声が出なくなった。
「どうして急に……!?」
 始の身体が急激に変化し、わずか数十秒で人間の始はいなくなってしまう。代わりにそこにいたのは碧色の鱗を持った仔どもの竜人だった。
「……」
 始はまだうずくまったまま固まっている。急激に細胞が変化し、それがまだ痛みとなって残っていた。
「もしかして、何か食べた?」
 彼女はこれしか少年の身体が変化する原因を知らなかった。
「……ゴメン! さっきそこに落ちていた実を食べた」
「バカ、何やってるのよ!」
 始を叱り、顔を手で押さえる。
「かわいそうだけど、もう元の世界には戻れないわ」
 始のいた世界には獣人はいない。まして竜の姿をした亜人なんて現れたらどうなるか……
「……家出した罰なのかな」
 始はそうぼやく。本当は泣きたいのだろうが、もうそんな気力すらなかった。
「仕方ない……」
 狼獣人は竜人となった始を背負う。
「何処行くの?」
「ちょっとだけあなたの家族に会わせてあげる」
 狼獣人は街とは反対の方角へと歩き出した。

 街から少し離れた所に深い森がある。その森の奥に小さな湖があった。湖の側に始を降ろし、始に目線をあわせた。
「いい、今から一日だけ人間の姿で地球に帰してあげる。最後に親御さん達と話してきて」
「……どうやって」
「あなたみたいに獣人に成った人間が此処の水を飲むと一時的に向こうの世界に戻れるの……」
 狼獣人はその場に膝をつき、湖の方に視線を送った。
「ただしこっちに戻ってきたときに人間の時の記憶は失うわ、それでもいいなら向こうの世界に送ってあげる」
 少し冷めた口調でそう話す。一つ始は疑問に思った。
「どうしてそんなこと知ってるの?」
 彼女の話している様子は体験談に近い話し方だった。それだけじゃない、人間の始に優しく接し、また竜化したときすぐさま原因を突き止めることができた。何か知っていると考えるのは普通である。
 彼女は少し悲しげな顔をした。
「私も元は人間だったの……」
彼女は始より2〜3歳年上の時家族を失い、その悲しみで自分が住んでいた街を放浪していた。そしていつの間にか気を失い、気がついたらこの世界にいた。あとは始と殆ど同じである。
「やっぱり……」
 予想していたことと一致したためか、始は苦笑した。
「私以外にも何人かいるの、中にはこの湖のことを知って飲んだ奴もいる……私は記憶を失うのが怖くて飲まなかったけど……」
 両親が死んだとはいえ、彼女にとって向こうの世界にいたときのいい思い出を消すことはできなかった。
「僕は行くよ、このままじゃずっと後悔するとおもうし」
 彼女とは違って始には後悔が残っている。このままだとこっちの世界にいてもその思いを引きずるだけ、戻らない理由はなかった。
「あなたがこの姿に戻りたいの願った瞬間にこっちの世界に戻されるわ……少しでも長くいたいならそう思っちゃダメよ」
 その問いに始はは軽く頷いた。
「じゃあこの湖の水飲んで……あなたが今一番行きたい場所にいるから」
 始は手で水をすくい、口の中に流し込む。すると気が遠くなり、そのまま眠ってしまった。

 気がつくと少年は姉が入院している病院の中、霊安室の前にいた。
(あれ、何で此処に?)
 中をのぞき込むと、そこに両親が立っていて、一人の女の子がベットの上で眠っている。その女の子が自分の姉だと気づくのにそんなに時間は要らなかった。
「……!」
 始の母親が始に気がつき、近づいてくる。目の前に立った瞬間母親は始の頬を思い切りはたいた。あまりの痛さに始は扉に寄りかかり、その場に座ってしまう。
「あんたがどっかいっている間に、お姉ちゃん死んじゃったのよ……」
 その日の昼過ぎ、姉の様態が急変した。医師も手を尽くしたのだが、結局助かることなく。数分前に亡くなってしまったのだ。
「ゴメン……でも」
「あんたは悲しくないの、何で自分の姉が死ぬ前に顔くらい出さないの!」
「……」
 始の眼から涙が流れ出てくる。
「あんたみたいな薄情な子、私の子じゃない!」
 母親の口からそんな言葉が出た。今の言葉は始にとって凄く辛い言葉。その言葉が母親から出た瞬間、始の目つきが変わった。
「聡美じゃなくて、聡美じゃなくてあんたが……」
「死ねばよかった?」
 母親が言いそうな言葉を先に言ってしまった。母親からして発作的に言ってしまったのかもしれないが、この言葉が子供をどれだけ傷つけるか……母親は我に返ったがもう既に遅かった。
「そうだよね、お姉ちゃんがいれば僕なんて要らないんだよね」
「ちがう……」
「……でもね、僕ももうすぐいなくなっちゃうんだ」
 突然始の姿が竜人体へと変化した。
「僕はもうこの世界の生物じゃないんだから……」
 冷たい目で母親を見つめる。
「……」
 母親が始に声をかけようとした瞬間、携帯の着信がなり出した。
「……」
 その電話は警察からだった。

 その日の正午頃、始が乗っていた列車が踏切でタンクローリーと衝突し炎上。先頭車両が大破し、そこに乗っていた乗客数名が死亡した。死んだ乗客の中に始が含まれていたのだ。それは姉の様態が急変する少し前のことだ。
 母親が竜人と化した始に近づこうとしたが、始は近づくのを拒んだ。
「今更遅いよ、もうあんたの子供じゃないし……もう戻る気もない」
 始の姿が薄くなり始める。この世界にいたくないという気持ちが働いたせいだ。
「そんなに姉ちゃんが大事なら、僕なんか生むな!」
 そう告げると、少年は消えてしまった。

 気がつくとあの湖に戻っていた。
「随分早かった……」
 始の心情を悟ったのか途中で言葉を止めた。
「……うっ、うっ、うわ〜」
 始は泣き出した。分かり合うどころか深い亀裂を入れてしまい、そしてもう修復ができない。少年にとって一時的に元の世界に戻ったことが辛くて仕方がなかった。
「……わかった、私と一緒に暮らそう」
 泣いている始を彼女は優しく抱き締めた。

 始はその日泣きやむことはなかった……

 それから1年後……

「エルム、そっちに行ったぞ!」
「わかってるって」
 始はこちらの世界でできた友達と遊んでいた。友達とじゃれ合う始は笑っていて、あの時の悲しみでいっぱいだった始はもういなかった。
 記憶を失い、名前すら思い出せなくなった始は自分を拾ってくれた狼獣人にエルムという名前を付けてもらい、一緒に暮らしている。
「……」
 始を見ている狼獣人の顔は少し浮かなかった。本当のことを教えたがいいのかもしれない、だけど当時のことを知っているこの狼獣人にはできなかった。あんなに楽しそうに笑っている竜人の少年を突き落とすようなまねをしたくはなかったのである。
 だがそれが本当に彼のためなのかどうか、それは誰も知らない……


 完
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